リーダーと考える経営の現場・第10回 傲慢な存在

 

「リーダーと考える経営の現場」では、前回に続き、私が経営の現場で得た「気づき」に基づいて、基本となるリーダーシップの考え方について記載していきたいと思います。

今回のテーマは、優れたリーダーは傲慢な存在であるということをご紹介したいと思います。前回、優れたリーダーはフォロワーから愛され畏れられる存在であるということをご紹介しましたので、リーダーには様々な顔があると思った読者の皆さんも多いかもしれません。

また、念のため、誤解のないように記載をしておきますが、今回のテーマは優れたリーダーは傲慢な存在であるということですが、決してリーダーの行動や態度が傲慢であるということではありません。実際の優れたリーダーの行動や態度は、傲慢と評価されるには程遠く、むしろ謙虚な人ばかりでしょう。

今回は、優れたリーダーの多くが、傲慢と評価されてもおかしくない考え方を持っていることをご紹介したいと考えています。

リーダーが多くのフォロワーを継続して導き続けるためには、時に傲慢と評価されるような、その他大勢のフォロワーとは絶対的に自分は違うという強烈な自負・矜持が必要になります。そのため、一般的に傲慢という言葉はマイナスイメージを伴いますから逆説的にはなりますが、優れたリーダーになればなるほど傲慢な存在であることが多いのです。

特に大事を成すリーダーは、常日頃の謙虚な行動や態度とは違って、自分が神がかっているとまでは言わないかもしれませんが、少なくとも自分は普通の人とは違うという気持ちで物事にあたっている人が多いです。

第4回で、リーダーがフォロワーや周囲の人々を捉える際の価値観の一つとして「人は性善なれど弱し」をご紹介しましたが、本来は、リーダーも、「人は性善なれど弱し」を体現した普通の人たちです。

しかし、リーダーであるからには、世のため人のため、誰かのため、夢や理想のために「焼け火ばし」を持ち続けなければなりません。リーダーは、目標のために、フォロワーが避けたくなるような嫌な役回りを引き受けなければならないのです。

このときに多くのリーダーの心の支えになるのは、「リーダーである自分は、弱いフォロワーとは違う」、「リーダーである自分は、フォロワーより強い」といった自負です。考えようによっては何とも情けない話でもあるのですが、リーダーは、自分よりも弱いフォロワーという存在を意識して初めて強くなれるのです。この自負が、弱い自分を鼓舞する、大きな心のよりどころになります。

リーダーは、「性善であって、強い」存在でなければなりません。リーダーとは、フォロワーの弱さを補える強さを持った存在だからこそ、フォロワーがついてくるに値するのです。リーダーがリーダー然とした振る舞いを身に着け、自分に自信を持ち始めるのも、フォロワーとの違いを意識してからです。

分かりやすい例を紹介したいと思います。今までの文脈を無視してこの部分だけ切り取ると誤解が生じるのですが、私が知る限り、ほとんどの経営者は、心の奥底で、どこかサラリーマンのことを見下した考えを持っていると思います。それはもちろんスキル面の話をしているわけではなく、生き方・覚悟において、多くの経営者はサラリーマンと勝負しても負けないと考えていると思います。この考えはリーダーの傲慢さから生じているのではないでしょうか。

そもそも本来は、目標のために、ともに歩いていくべき存在であるフォロワーとリーダーである自分を比較すること自体がナンセンスです。しかし、時に、この区別があるからこそ、リーダーは、フォロワーのために、努力をし続けられるのです。

この考え方は、身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観であるノーブレス・オブリージュ(高貴なる義務)に近い考えかもしれません。この場合は、身分の高い者と庶民を区別し、そのかわり、身分の高い者に社会的責任と義務を課しているわけです。

リーダーが、多くのフォロワーを前にリーダー然としていられるのは、自分はフォロワーとは違うというプライドがあるからです。それは、傍から見ると、ちっぽけなプライドかもしれませんが、継続して物事を成し遂げているリーダーの多くが、このプライドを原動力として、長年にわたりフォロワーを導いているように思います。

こうした考えから、リーダーとフォロワーの関係は、親子のような関係と例えられることが多いです。本当の親子ならばいざ知らず、現実にリーダーとフォロワーの間に、親子ほどの開きがあるかどうかは分かりませんが、リーダーシップの世界では、関係性において、リーダーは親、フォロワーは子供というように捉えられるわけです。

リーダーが、フォロワーを子供のように捉えること自体が既に傲慢なことかもしれません。しかし、この傲慢さがあるからこそ、リーダーは、リーダーらしく振舞うことができ、フォロワーのためにより一層の努力することができるのです。

 

「リーダーと考える経営の現場」

第1回 「はじめに」
第2回 「リーダーシップに立場は関係ない」
第3回 「マネジメントとリーダーシップの違い」
第4回 「人は性善なれど弱し」
第5回 「自責と他責」
第6回 「人として正しいことを」
第7回 「リーダーは自然体」
第8回 「サーバント・リーダーシップ」
第9回 「愛され畏れられる存在」
第10回 「傲慢な存在」
第11回 「子どものように叱る」
第12回 「奇跡を起こし、神となれ」
第13回 「Lead with love」
第14回 「リーダーシップの旅 前半」
第15回 「リーダーシップの旅 後半」

※この記事は、WEBメディア「The Urban Folks」に連載されている2018年7月19日公開の「リーダーと考える経営の現場・第10回 傲慢な存在」を転載したものです。

リーダーと考える経営の現場・第9回 愛され畏れられる存在

 

「リーダーと考える経営の現場」では、前回に続き、私が経営の現場で得た「気づき」に基づいて、基本となるリーダーシップの考え方について記載していきたいと思います。

今回のテーマは、優れたリーダーは、フォロワーから愛され畏(おそ)れられる存在であるということをご紹介したいと思います。前回ご紹介したサーバント・リーダーシップと同じように、「愛されること」と「畏れられること」は正反対の2つのイメージだと思います。この相反する2つのイメージを両立しているところが、優れたリーダーの凄さであり魅力なのです。

この「リーダーは愛され畏れられる存在でなければならない。」という考え方は、私が、20代半ばで、まだ駆け出し経営者だった頃に、過去に大臣を務めた経験のあるメンターの方から教えていただいたものです。

「愛されること」は、リーダーがフォロワーに笑顔で囲まれている様子をイメージしてもらうと分かりやすいと思います。子供が母親に対して抱くような愛情たっぷりな感情です。リーダーがフォロワーから「愛されること」が望ましいことは言うまでもありません。フォロワーに愛されるリーダーは、理想のリーダー像の一つだと思います。

これに対して、「畏れられること」は、子供が父親に対して抱くような尊敬と畏れの入り混じった感情です。ここで気を付けなければならないのは、「畏れられること」は、危害が及ぶことを心配してびくびくしたり怖がったりする「恐怖」ではなく、能力の及ばないものを畏れ敬うという「畏怖」なのです。

リーダーが組織を守るための非情さや胆力などを持ち合わせており、時にフォロワーや周囲の人々から畏れを抱かれなければならないことは、組織をまとめるうえで必要なことなのです。一度、リーダーが“刀を持っている”と認識されれば、フォロワーや組織に規律が生まれます。フォロワーに、このリーダーは何かあれば組織全体のために組織の敵を斬って捨てて返り血を浴びる覚悟がある人だと思われれば、リーダーは畏れられる存在になるのです。

さらに考えると、尊敬と畏れについても関連性があります。リーダーが組織の指示命令系統上の制度的権限など「パワー」を適切に行使できることは、フォロワーの尊敬を集める行為なのです。神話などで、なぜ年老いた村長に対して、フォロワーである若い村民たちに畏怖があるかというと、村長は適切に「パワー」を行使することができるからなのです。適切な「パワー」の行使は、自制心がなければなりませんし、何よりも経験が必要になります。適切に「パワー」の行使ができることが、村長に対する畏怖に繋がっているのです。自分勝手な「パワー」の行使は、フォロワーにとって尊敬に値しない行為であり、単なる恐怖でしかありません。

読者の皆さんの中には、「愛されること」と「畏れられること」を両立できるのか疑問に思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、結論からいうと、両立することはできます。なぜなら、この2つは求められる状況が違うのです。

理想では、平常時に、リーダーは、全てのフォロワーから「愛されること」が望ましいです。逆に、日頃から、全てのフォロワーに「畏れられること」は必要ありません。リーダーのいざというときの覚悟、いざというときの胆力を垣間見て、そこにフォロワーは畏れを抱くのです。歴史上の有名なリーダーたちのエピソードの多くに、フォロワーから「愛されること」を象徴するような無邪気なエピソードと「畏れられること」を象徴するような組織を守るための過激・苛烈なエピソードが、一人のリーダーに混在することからもこのことが分かると思います。

私の10年以上の経営経験では、経営の現場では、残念ながら、「愛されること」と(「畏れられること」ではなく)「怖れられること」のどちらか一方に極端に偏ってしまっている人が多いように思います。具体例としては、フォロワーに愛されたい八方美人な経営者やフォロワーを恐怖で支配する独裁的な経営者などが挙げられます。

リーダーがフォロワーから「愛されること」ばかりを望んで、リーダーが、フォロワーに対して、率直なコミュニケーションができなくなってしまっていて、フォロワーの成長に欠かせないことや組織として必要なことであっても指摘できない、注意できないという方も多くいます。逆に、最初は組織のためなど大義名分を掲げるものの、リーダーがフォロワーから「怖れられること」が組織運営上、望ましいことだと勘違いして、恐怖政治を行ってしまう方も多くいます。

本来、リーダーのキャラクターは、決して善人・悪人と一方だけの評価にならず、多くの場合は、複雑に入り混じった、多面的・立体的な評価なのです。リーダーは、フォロワーに対して、母親のように愛に満ちた存在であり、父親のように畏れられる存在でなければならないのです。この2つを一人の人格で両立できることが、優れたリーダーの魅力なのです。

 

「リーダーと考える経営の現場」

第1回 「はじめに」
第2回 「リーダーシップに立場は関係ない」
第3回 「マネジメントとリーダーシップの違い」
第4回 「人は性善なれど弱し」
第5回 「自責と他責」
第6回 「人として正しいことを」
第7回 「リーダーは自然体」
第8回 「サーバント・リーダーシップ」
第9回 「愛され畏れられる存在」
第10回 「傲慢な存在」
第11回 「子どものように叱る」
第12回 「奇跡を起こし、神となれ」
第13回 「Lead with love」
第14回 「リーダーシップの旅 前半」
第15回 「リーダーシップの旅 後半」

※この記事は、WEBメディア「The Urban Folks」に連載されている2018年6月15日公開の「リーダーと考える経営の現場・第9回 愛され畏れられる存在」を転載したものです。

リーダーと考える経営の現場・第8回 サーバント・リーダーシップ

 

「リーダーと考える経営の現場」では、前回に続き、私が経営の現場で得た「気づき」に基づいて、基本となるリーダーシップの考え方について記載していきたいと思います。

リーダーごとにそれぞれ自然体のリーダーシップのスタイルがあるわけですが、今回のテーマは、日本社会ではまだまだ新しいリーダーシップのスタイルであるサーバント・リーダーシップについてご紹介したいと思います。

このサーバント・リーダーシップですが、数年前に、ユニクロ(株式会社ファーストリテイリング)の代表取締役会長兼社長の柳井正氏が、「社員全員と経営者全員に『サーバント・リーダー』になってもらいたい」と言ったことでも注目を集めたリーダーシップのスタイルです。

サーバント・リーダーシップは、今から約半世紀前の1970年に、ロバート・グリーンリーフが提唱した「リーダーは、まずフォロワーに奉仕し、その後、フォロワーを導くものである。」というリーダーシップのスタイルです。

サーバント・リーダーシップは、「召し使い」、「使用人」や「奉仕者」という意味のサーバントと、フォロワーをぐいぐいと率いる一般的なリーダーのイメージであるリーダーシップという正反対の2つのイメージの言葉を一つにしたものです。この相反する2つのイメージを両立しているところが、サーバント・リーダーシップの凄さであり魅力なのです。

第2回で、一般的な人々が考えるリーダー像として、ネアカで、常に強い人で、いつでも「俺について来い!」と言って先頭を走っている組織のトップという「マッチョなリーダー像」を紹介しましたが、まさにサーバント・リーダーシップは真逆のリーダー像なのではないかと思います。

「マッチョなリーダー像」の多くのケースでは、フォロワーとは、まさに「俺について来い!」という強烈なリーダーシップについてきた人、正確には、リーダーについて行くことができた数少ない人なのです。そこにはリーダーのフォロワーに対する配慮や支援などを感じさせないぐらいの「マッチョなリーダー像」の厳格さや底抜けのエネルギーがあるわけです。これに対して、サーバント・リーダーシップでは、リーダーは、フォロワーに対して、明確なミッションやビジョンを示して、それを遂行するフォロワーを支えます。

リーダーは自分のミッションやビジョンを実現させるためにフォロワーがいると考えてはなりません。リーダーもフォロワーも、ミッションやビジョンを達成するという共通の目的の下では、立場は関係ないのです。ミッションやビジョンを実現するために、多くのフォロワーが、所属する組織やリーダーのために行動してくれるわけです。そのため、サーバント・リーダーシップでは、フォロワーがより活躍しやすいように、環境を整え、支えるのがリーダーの役割なのです。

サーバント(奉仕)の部分だけにスポットがあたってしまってはいけません。勘違いをしてはいけないのは、サーバント・リーダーシップは、フォロワーを支える“だけ”ではありません。やはりリーダーは、世のため人のため、夢や理想のために、フォロワーに対して、しっかりとした方向性を示す必要があります。

経営学においても、大企業のケーススタディで、逆三角形の図で表した会社組織の事例がいくつもあります。この逆三角形となる会社組織とは、社長が一番下で、社員の中でも、最前線の現場社員が一番上となるような組織設計です。会社の経営層は、現場社員に対して、しっかりとした経営方針を提示するとともに、現場社員の実行を支えていくというものです。ちなみに前述のユニクロの柳井氏の事例でも、同氏は「店舗のスタッフ一人ひとりを主役にする。そのために我々が全員でサポートしていく。」というような説明をしています。

以前紹介した、リーダーのフォロワーや周囲の人々の捉え方の一つの価値観である「人は性善なれど弱し」ですが、この考え方にはサーバント・リーダーシップがしっくりきます。リーダーがフォロワーを「弱い」と定義しているわけですから、リーダーからすれば、そのフォロワーは手を差し伸べ、助けて支える対象になります。リーダーによる支援や援助がなければフォロワーは「弱い」ままで、リーダーとともに、ミッションやビジョンを実現することができません。

また、この価値観に基づくと、リーダーが、正しくサーバント・リーダーシップを発揮できているかどうかのチェックも簡単にすることができます。正しくサーバント・リーダーシップが発揮されている場合には、リーダーに支援されたフォロワーが人間として成長するのです。もし従来の「マッチョなリーダー像」だと、ともすれば、フォロワーは自力でリーダーについて来ることが求められているだけで、リーダーがフォロワーのことをきめ細やかに見られていない場合もあるでしょう。サーバント・リーダーシップでは、リーダーが「弱い」フォロワーを常日頃から支えているため、彼らは自然と「強く」なっていくのです。

リーダーシップには様々なスタイルがありますが、サーバント・リーダーシップは「人は性善なれど弱し」という価値観に最もマッチする考え方だと思います。フォロワーに対して価値ある目標を示し、それに取り組むフォロワーを支えて、フォロワーを奉仕するのがサーバント・リーダーなのです。その結果、フォロワーや周囲の人々は「強く」なり、その人が本来持っている性善なる力を、世のため人のため、夢や理想のために発揮できるようになります。

 

「リーダーと考える経営の現場」

第1回 「はじめに」
第2回 「リーダーシップに立場は関係ない」
第3回 「マネジメントとリーダーシップの違い」
第4回 「人は性善なれど弱し」
第5回 「自責と他責」
第6回 「人として正しいことを」
第7回 「リーダーは自然体」
第8回 「サーバント・リーダーシップ」
第9回 「愛され畏れられる存在」
第10回 「傲慢な存在」
第11回 「子どものように叱る」
第12回 「奇跡を起こし、神となれ」
第13回 「Lead with love」
第14回 「リーダーシップの旅 前半」
第15回 「リーダーシップの旅 後半」

※この記事は、WEBメディア「The Urban Folks」に連載されている2018年5月19日公開の「リーダーと考える経営の現場・第8回 サーバント・リーダーシップ」を転載したものです。

リーダーと考える経営の現場・第7回 リーダーは自然体

 

「リーダーと考える経営の現場」では、前回に続き、私が経営の現場で得た「気づき」に基づいて、基本となるリーダーシップの考え方について記載していきたいと思います。

今回のテーマは、優れたリーダーは常に自然体であるということをご紹介したいと思います。リーダーのあるべき行動様式である「あり方」とは、一つ一つの行動である「やり方」と違って、リーダーの人間性そのものです。人間性は偽ることはできません。だから、リーダーは自然体で構わないですし、自然体であってもフォロワーを魅了できなければなりません。

私が人を動かすにはリーダーシップが大事だという話をすると、必ずと言っていいほど、「どのようにやればいいですか?」とか「どのようなテクニックですか?」という質問を受けます。しかし、リーダーシップとは「あり方」であって、「やり方」ではないのです。

分かりやすい具体例ですが、前回、リーダーに不可欠な「人として正しい」という価値基準をご紹介しました。子供の時に両親や先生などから教えられた「人として正しい」という普遍的な道徳観や倫理観に基づいた価値基準が、「やり方」の話ではないことは読者の皆さんにもご理解いただけるものと思います。

これに対して、「やり方」とは一つ一つの行動です。特によく挙げられるのは、心理学などを駆使した情報操作や印象操作、プロパガンダやマインド・コントロールなど、一時的にその人が有利になるような行動です。これらの「やり方」を駆使する人は、利己的な考えを持った人です。彼らは、自分のために、どうにか周囲の人々を動かしたいという考えから、これらの「やり方」を駆使するのです。

日々、私は経営支援をしているクライアントに対してリーダーシップの話をさせてもらっているのですが、「善人のリーダーは損をする」、「仕事ができるヤツは嫌なヤツである」、「利己的でズルいヤツが成功する」、そして「「やり方」を駆使しないと成功できない」と考えている人たちが多いことに驚きます。

しかし、真実は、「やり方」を駆使する嫌なヤツやズルいヤツのうち一定数はうまくやりますが、成功者と言われる方たちの中でも頂点のほうに位置する人々は、「あり方」がしっかりした自然体でも魅力的なリーダーなのです。

利己的な人は、初めのうちは成功しそうに見えるものです。しかし、長い目でみれば、彼らは、本来ならば成功するために必要とする環境そのものを破壊しかねないのです。

マキャベリズム(目的のためには手段を選ばないやり方。権謀術数主義。)のように策略に長けて利己的であれば、いずれは、フォロワーはもちろん、周囲の人々もそれに気づくのです。そもそも、権力の座に就く前に、周囲の人々に報復されれば、そのような「やり方」は意味がありません。また、例え成功したとしても、成功への道は「やり方」を駆使して人を動かすことだと示してしまったので、周囲の人々も同じようなことをするようになります。そして、自分と同じように利己的な考えを持ち「やり方」を駆使する人を作り出すことになるのです。一方で、善良な人々はあなたの下から去っていきます。波及効果が広がり、あっという間に「やり方」があふれてしまうのです。

長い目で見ると、「やり方」では上手くいきません。努力を極めて成功を成し遂げるには、利己主義を超越し、周囲と信頼し合い、協力関係を築くという「あり方」を身に着けた自然体なリーダーでなければなりません。皮肉な話、例え犯罪者が悪事で成功するためにも、このことは鉄則なのです。

優れたリーダーは、フォロワーの不安を鎮め、希望を引き出し、望みを高め、力を与え、ポジティブな行動へと駆り立てます。私たちが常に心に留めておかねばならないのは、中長期的には、「やり方」ではフォロワーや周囲の人々は動かないということです。

「やり方」では、いつかフォロワーが離れてしまうものです。「やり方」を駆使して、フォロワーや周囲の人々をずっと騙し続け、動かし続けることは難しいのです。読者の皆さんにも経験があるかもしれませんが、リーダーのたった一言で、フォロワーは興ざめしてしまうこともあるぐらい、信頼関係とは繊細なものなのです。

リーダーは「あり方」が大事です。リーダーの感情、価値観、パーソナリティといった人の心が持つ力を理解しなければなりません。そのためには、リーダーとしての「あり方」を身に着け、自然体であっても、フォロワーがついて来るようでなければなりません。

繰り返しますが、リーダーシップとは「あり方」であって、「やり方」ではないのです。ありのままの自分、人間性が大事だからこそ、自然体で勝負できるリーダーになる必要があります。優れたリーダーは常に自然体で、それでいて、常にフォロワーや周囲の人々を魅了し、正しい方向に導いていくのです。

 

「リーダーと考える経営の現場」

第1回 「はじめに」
第2回 「リーダーシップに立場は関係ない」
第3回 「マネジメントとリーダーシップの違い」
第4回 「人は性善なれど弱し」
第5回 「自責と他責」
第6回 「人として正しいことを」
第7回 「リーダーは自然体」
第8回 「サーバント・リーダーシップ」
第9回 「愛され畏れられる存在」
第10回 「傲慢な存在」
第11回 「子どものように叱る」
第12回 「奇跡を起こし、神となれ」
第13回 「Lead with love」
第14回 「リーダーシップの旅 前半」
第15回 「リーダーシップの旅 後半」

※この記事は、WEBメディア「The Urban Folks」に連載されている2018年5月7日公開の「リーダーと考える経営の現場・第7回 リーダーは自然体」を転載したものです。

リーダーと考える経営の現場・第6回 人として正しいことを

 

「リーダーと考える経営の現場」では、前回に続き、私が経営の現場で得た「気づき」に基づいて、基本となるリーダーシップの考え方について記載していきたいと思います。

今回のテーマは、リーダーのあるべき行動様式である「あり方」に不可欠な「人として正しい」という価値基準をご紹介したいと思います。

「人として正しい」とは、ごく一般的な道徳観や倫理観に基づいた価値基準です。それは、子供の時に両親や先生などから教えられた、普遍的な「人として当たり前」のことです。

改めて「人として正しい」というと、経営の現場からかけ離れた崇高・高尚・深淵なテーマで、小学校の道徳の授業のような内容に思われるかもしれません。しかし、今後、読者の皆さんがリーダーシップを発揮していき、様々なステークホルダーに対して、より広範に影響力を行使していくためには、この「人として正しい」とは何かを改めて見つめなおさなければなりません。

第4回で、リーダーがフォロワーや周囲の人々を捉える際の価値観の一つとして「人は性善なれど弱し」をご紹介しましたが、基本的に「人は性善」なのです。性善なフォロワーは、性善な道徳観・価値観を持ったリーダーについていきます。そのため、リーダーがより多くの人々に影響力を行使するためには、「人として正しい」ことは、優れたリーダーシップに欠かせない要素なのです。

例えば、「嘘をついてはいけない」、「騙してはいけない」などズルくてはいけませんし、「強欲ではいけない」、「利己的ではいけない」など自己中心的な考え方ではいけません。また、困っている人がいたら救いの手を差し伸べたほうがいいでしょうし、家族、友達や仲間は大切にしたほうがいいでしょう。これらはみな「人として正しい」と評価されるであろう、ごく一般的な道徳観や倫理観に基づいた価値基準の範囲内のことだと思います。

それこそオリバー・ストーン監督の映画「ウォール街」でマイケル・ダグラスが演じた投資家ゴードン・ゲッコーの名ゼリフ「Greed, for lack of a better word, is good.(他に言葉は見つからないが、強欲は善だ)」が象徴的ですが、経営の現場では、自分の中にある一般的な道徳観や倫理観が揺らぐような場面に出くわすことがあります。

近年、大企業の不祥事が相次いでいます。東芝の粉飾決算、日産自動車やスバルの無資格者検査問題、神戸製鋼、三菱マテリアルや東レの品質データ改ざんなどです。これらの大企業も、最初から不正をしていたわけではありません。リーダーシップの欠如により、ごく一般的な道徳観や倫理観に基づいた価値基準をはみ出してしまったわけです。

リーダーは、いついかなるときも、「人として正しい」ことをしなければなりません。リーダーは、追従してきてくれるフォロワーのためにも、「焼け火ばし」を持って我慢をしなければならないのです。コンプライアンスの問題であったり、お金にまつわる問題であったり、絶対に乗り越えなければならない現実の課題を前にしても、「人として正しく」いられるか。会社の資金不足や複雑に絡まったステークホルダーの利害関係など様々な現実の問題に対峙しつつも、「人として正しい」行動をとることができるか。リーダーとしての真価が問われるのです。

今回のテーマですが、もしかしたら読者の皆さんは、リーダーのみならず、「人として正しい」ことをするのは、「人として当たり前」のことじゃないかと思ったのではないかと思います。なぜ私がこのような当たり前のことを改めてご紹介するのかというと、まさに前述の「人は性善なれど弱し」で、思っているよりも、常に「人として正しい」ことをするのは難しいことなのです。一般の人たちでも、日常生活において、些細な嘘をついてしまったり、少し欲をかいてしまったりと、なかなか聖人君主のような振る舞いはできないものです。

21世紀になってからは、インターネットの発達により、情報伝達が飛躍的に速くなり、特にSNSの普及によって、個人それぞれが積極的に情報発信をするようになりました。そのため、「人として正しい」かどうかという価値観は、今まで以上に、多くの人々に見られるようになりました。「人として正しい」という道徳観や倫理観に基づいた価値基準は、さらに重要性を増しているのです。

多くの人々が期待するリーダーは、これはしてはいけないことだ、あれはこうすべきだと、明確に規範を示し、倫理を説くことができる、見識と常識を兼ね備えた優れた人物です。但し、本来ならば、「人として正しい」ことは「人として当たり前」のことであり、決して難しくはないはずです。改めて、子供の時に両親や先生などから教えられた、ごく当たり前の道徳心やシンプルな規範の意味を考え直し、それをきちんと遵守すればいいのです。リーダーが、一人でも多くのフォロワーを導いて、世のため人のため、夢や理想のために邁進するためには、「人として正しい」ことをしなければなりません。

 

「リーダーと考える経営の現場」

第1回 「はじめに」
第2回 「リーダーシップに立場は関係ない」
第3回 「マネジメントとリーダーシップの違い」
第4回 「人は性善なれど弱し」
第5回 「自責と他責」
第6回 「人として正しいことを」
第7回 「リーダーは自然体」
第8回 「サーバント・リーダーシップ」
第9回 「愛され畏れられる存在」
第10回 「傲慢な存在」
第11回 「子どものように叱る」
第12回 「奇跡を起こし、神となれ」
第13回 「Lead with love」
第14回 「リーダーシップの旅 前半」
第15回 「リーダーシップの旅 後半」

※この記事は、WEBメディア「The Urban Folks」に連載されている2018年4月16日公開の「リーダーと考える経営の現場・第6回 人として正しいことを」を転載したものです。